NHKラジオ深夜便「明日へのことば」を聴く

不定期更新です

平成22年02月04日 作家 加賀 乙彦氏 

平成21年6月26日放送


「人間の老いと社会の病を語る(2)」 
作家 加賀 乙彦氏

加賀 乙彦(かが おとひこ) - Wikipedia



 小説家で精神科医でもある加賀乙彦氏のインタビューの後半を聴取しました。


 死刑囚が激しい躁鬱のノイローゼに苦しむのに対し、無期懲役囚にはまったく同様の症状が見られないといった東京拘置所の医務部技官時代の話など興味深く拝聴しましたが、全体的な感想としては批判的な見解を持ちました。



 私は、世間に情報発信していこうというのなら、世の中で流行しているものに対しては積極的に自分自身で摂取していく姿勢が重要だと考えます。
 なぜなら、人間は自分が興味のない、知らないものに対しては安易に否定的な見解を持ち、また、そういった言論にも同調しやすくなります。
 それは、時として短絡的な害悪論となり、物事の本質を見誤らせることとなりかねません。


 加賀氏は前回の放送で、「これまでの長い人生で得てきたものを若者に残したい」とおっしゃていましたが、その肝心の中身が若者アレルギーの押し付けでは何の益体もありません。



 今回のインタビューの中で批判の対象となったのは、すでに社会批判の定番となった感もある、漫画・アニメ・携帯電話・インターネットです。


 携帯電話・インターネットに関しては、
・表情で相手の真意を読み取れないことが誤解を生み易くなる
・対面で相手を特定できないことが不特定の相手に対する敵意に変換されやすい
・結果として、秋葉原の通り魔事件のような悲劇を生み出す
 といった流れでした。


 なるほどと思いますし、そういった悪影響に対して注視していくことは重要なことですが、インターネット世代の本格化した2000年代になってから、通り魔事件の発生件数が増加したという客観的なデータは存在しませんし、これらのメディアのIT社会における重要性・利便性に触れず、「救急車を呼ぶ」といった非常時に限定して必要性を語るのはいかにも偏狭に過ぎるように感じました。


少年犯罪データベース 通り魔事件
http://kangaeru.s59.xrea.com/toorima.htm


 これについて、インタビュアーも「フェイス・トゥ・フェイスが大事ですね」と同調していましたが、顔の見えないラジオと言うメディアで情報発信することを使命とするラジオアナウンサーとしては複雑な思いもあったのではないでしょうか。



 また、漫画・アニメのについては、
・漫画・アニメでは死んだ人間が簡単に生き返る
・漫画雑誌のアンケートで子供の半数が、「人間は死んでも生き返る」と答えた
・そのため、死に対する実感が希薄になり、安易に殺人・自殺をすることになる
・日本の大人は、子供に死を見せないようにするが、欧米では死の教科書で積極的に学習させている
 という内容でした。


 たしかに、少年漫画等では、超常的な力によって人が生き返るという展開は珍しくありませんが、それが、死に対する意識を希薄にするというのは論理に飛躍があるように思われます。


 漫画雑誌のアンケート結果は、ネット上でいかにも物議を醸しそうな話題ですが、私はそのようなものを目にしたことがありませんし、おそらく、漫画でもテーマとなることの多い「転生(生まれ変わり)」の話題を加賀氏が読み違えてしまったのではないかと推測します。


 そもそも、殺人や凶悪犯罪については、欧米諸国の方が日本のそれよりも遥かに比率が高く、近年になって日本の少年犯罪が増加しているというデータも有りません。
 また、諸外国と比較して日本人の自殺率が上昇するのは45歳以上の中高年層であることを踏まえると、いずれも漫画・アニメの視聴との関連性には疑問符がつきます。


犯罪率の国際比較(OECD諸国)
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2788.html
殺人発生率 国際比較 - GLOBAL NOTE(要会員登録)
http://www.globalnote.jp/post-1697.html
少年犯罪データベース 少年による殺人統計
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm
諸外国の自殺死亡率
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/11.htm


 死の教科書については、現物を見たことがないのですが、生の価値を見出すために死について考える機会をもつということは非常に有意義なことだと思います。
 欧米で行われている死の教育がどのようなものかはわかりませんが、漫画・アニメにおいても深刻な死の場面が描かれることは少なくありませんし、むしろ、漫画・アニメを死について考える死の教科書として活用して行く道を探る方が、より進歩的といえるのではないでしょうか。



 今回に限らず、こういった若者文化批判は同番組内でもしばしば散見されますが、
天下の公営放送であるNHKがこうした民放メディアで氾濫する安易な若者文化批判に迎合することには、大いなる疑問を感じます。
 番組側でも、もう少し主体的に内容の斟酌をしていただきたいものです。

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平成21年10月27日 環境経済学者 佐和 隆光氏

平成21年6月26日放送
平成21年10月27日アンコール放送

「日本のあす、私の提言~環境は経済を救うか?」
環境経済学者 佐和 隆光氏

佐和 隆光(さわ たかみつ) - Wikipedia



 ハイブリッド専用車の圧倒的なランニングコストの安さなど、エコ関連商品の有用性を解説するとともに、低迷する日本経済の打開策としてエコ産業の推進を図るべきだと言う内容のインタビューでした。

 オバマ大統領のグリーン・ニューディール政策を紹介し、エコ産業に従事する人たちをグリーン・カラー・ワーカーと呼び、社会の役に立つのだからみんなの憧れの職業になるはずだ、といった発言からも、氏が熱烈なエコ産業信者であることが伺えました。

 ただ、その中で、ひとつ気になる発言もありました。


 インタビューの中で、佐和氏は、欧州の環境先進諸国との比較で日本人の環境意識の低さを嘆いておられます。


 佐和氏は、それらの諸国の環境意識の高さの根拠として、経済力と教育レベルの高さをあげ、日本は同等の経済力と教育レベルがあるにもかかわらず、なぜ環境意識が低いままなのか、という疑問を呈し、その答えとして日本人の知力レベルの低さを指摘しているのです。


 私は、この発言に大変な違和感を覚えました。


 経済力や教育レベルには、GDPや普通教育・高等教育の普及といった、一応の基準となる統計データが存在します。


 では、知力レベルとはいったい何をさしているのでしょうか。
 佐和氏によれば、大学の現場でも学生の知力レベルは昔より上がるどころか、むしろ下がっているといいます。
しかし、少子化やゆとり教育など、それを裏付ける補助証拠はありますが、いずれも現在の日本人の知力水準を評価する直接的な根拠とはなりません。
 つまり、それは、佐和氏の現場レベルでの、主観に基づく単なる思い込みでしかないのでしょう。


 そして、私は、このような発言が日本の学究現場の権威ある人物の口から発せられたという事実を強く懸念します。

 なぜなら、このような根拠に乏しいレッテル張りは、紛れもない差別発言だからです。
 そして、日本人が自分で言っていることを、外国人が遠慮したり自重する理屈はありません。


 つまり、このような発言は外国人に対して、「日本人は知力水準が低く、皆さんと対等な立場で話し合い、問題を解決する能力に欠けるので、その様なものとして扱っていただいてかまいません」と宣言しているのと同義なのです。


 私は、日本が環境先進国家となるためには、まず、東アジア地域が環境先進諸国となり、互いに協調・監視していく体制を構築することが最も重要で有効な手段であると考えます。


 先進的なアスリートの世界では、実力以上の力を引き出すためには、優れた競争相手の存在が欠かせません。
 人間は、すぐに怠けようとする生き物ですが、競争相手が隣を走り、今にも自分を抜き去っていこうとする時には、無い力を振り絞っても追いすがろうとします。


 振り返って日本の周囲を見渡すと、残念ながら、中国はまるで環境汚染の見本市のように連日報道され、韓国も日本と肩を並べるまでにはいたっていません。

 こうした環境の中で、日本のみに、欧州の環境先進諸国並みの高い意識をもとめるのは、はじめから無理のある話です。


 これを解消し、意識レベルの向上と維持を図るためには、他の東アジア諸国との連携が欠かせませんし、逆に、このような周辺環境を顧みず、独立試行の果てに「世界に追いつけない!」と、自家中毒を起こしているようではナンセンスの謗りは免れないでしょう。



 このインタビューで、私が特に驚かされたのは、佐和氏が現役の大学教授であったということです。


 大学教授と言えば、ほとんど顧みられることの無い地味で退屈な学問の世界に身を投じ、不毛の荒野にいつ芽が出るとも知れない種を地道に撒き続ける、そんな活動を生涯の生業としている奇特な人達であり、それだけにその専門分野における発言には他の職種の人には無い慎重さと説得力があります。


 この番組でも、インタビューの質は玉石混交ながら、大学教授のインタビューからは常に学ぶところが多く、逆に佐和氏のような軽率な発言が目立つのは、畑違いの分野に首を突っ込んできた名誉教授か、作家か、宗教家というのが相場です。


 それだけに、今回のインタビューでは、自分の中の大学教授観を改めねばならないと感じましたが、もちろん私は、主観のみで統計データに基づかず「最近の日本の大学教授の質も落ちたものだ!」などと悲嘆するつもりはありません。

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