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平成22年09月06日 作家 西村 京太郎氏

平成22年09月06日放送
「トラベルミステリーを書き続けて32年」

作家 西村 京太郎氏

西村京太郎(にしむら きょうたろう) - Wikipedia



 トラベル物の推理小説の第一人者として知られる西村京太郎氏が、売れっ子作家ならではの悩みやこれからの展望などを語っておられました。


 内容は、鉄道ファンからの厳しい突っ込みをはじめ、編集者に「トラベル物をやめて別のものを書きたい」と言うと「良いですね」と返ってくるものの、続けて「でも、うちはダメですよ」と断られるといったトラベルミステリーの権威としての地位を確立されている西村氏ならではの苦労が伺えるものでした。


 また、再登場した人物の名前を間違えて書いてしまっても、ミステリーなので「何か意味があるのでは」と思って編集者が指摘してくれない、そして、そのフォローをするための理由付けに苦労したのでそれ以降、「地方の刑事はみんな三浦」という具合に名前を統一することにしたという話は、多作で知られる手塚治虫がスターシステムを採用してキャラを描き分ける負担を軽減したのに通じる合理主義精神を感じて面白かったです。


 苦労話のほかには、本屋やキヨスクで自分の本を手に取った人がいると「買ってくれたらサインくらいしようかな」と思ってじっと見ていてもそういう時に限って不思議と買ってくれない、と冗談交じりにぼやいたり、インタビュアーが記念館の感想用紙に書かれていたファンからのメッセージを読み上げて「うれしいですね」と感想を促すと、照れ隠しのように「うれしいでしょうね」と応えるあたりは、西村氏の人柄がにじみ出ていて印象深いものがありました。


 インタビューの最後にパソコン・携帯小説などの登場による時代の変化に対する不安や、加齢による身体感覚の変化、奥さんが必要不可欠な存在であること、十津川警部の最後の事件の構想などを語られていましたが、80歳という年齢を感じさせない確かな語り口には今後の活躍と構想の完遂が十分に期待できるものであることを予感させてくれるものがありました。

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平成22年09月11日 財団法人・たんぽぽの家理事長 播磨 靖夫氏

平成22年09月11日放送


「障害者の芸術を発信 エイブル・アート」 
財団法人・たんぽぽの家理事長 播磨 靖夫氏



たんぽぽの家
エイブル・アート - Wikipedia



 元新聞記者である播磨氏は、自らが命名した「エイブル・アート」という活動によって障害者をはじめとするさまざまなハンデを負う人々の生活の質の向上に努めておられるようです。

 その理念として何度も口にされていた「出来ないことを悔やむより、出来ることに集中したほうが良い」という言葉は現在の日本人に最も必要とされている考え方だと感じました。

 もともとこの活動の始まった1995年は、バブル崩壊による混迷に加え、阪神大震災・地下鉄サリン事件と立て続けに大きな事件が起こり、日本全体が失意と不安の最中にありました。

 そんな日本を勇気付け、立ち直らせるためには芸術活動が必要だという信念が活動の立脚点となっています。


 障害者を人目にさらすということに否定的な見かたも根強い風潮の中で、その活動は音楽・絵画をはじめとする幅広いアート活動へ広がっていき、1997年に開かれた東京都美術館の展覧会は予想に反する大成功を収めます。

 その会場に置かれていた感想用紙には、表にも裏にも「勇気をもらった」という感動を表す言葉がびっしりと書き込まれていたそうです。


 現在の日本を動かしている大人には、将来の日本を背負う子供達のために希望のある未来を用意する責務があるはずですが、悲観論をつぶやくばかりでその先の未来のために本気で汗をかこうという気概が感じられないようでは、その態度は無責任と批判されても仕方がありません。

 そんな中で、播磨氏のように「日本が弱っている時だからこそ自分の手で元気にしてやろう」という姿勢は、私の目には、誰よりも大人としての責務に誠実であるように映ります。

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平成22年09月04日 神戸女学院大学教授 内田 樹氏

平成22年09月04日放送


「ふらふら、きょろきょろ」 
神戸女学院大学教授 内田 樹氏


内田 樹(うちだ たつる) - Wikipedia




 今回の出演者である内田氏は、日本の無節操とも言える変節の様子を「ふらふら、きょろきょろ」という言葉で表し、それが今回のインタビューのタイトルにも採用されていました。


 少子化問題やグローバル化、中国を始めとするアジア諸国の台頭など何かと取り留め無い悲観論が語られることの多い現在の日本を表す言葉としてはなかなか的を射た言葉かもしれません。


 ただ、内田氏の言われていたような「日本列島という閉ざされた地理によってもたらされた民族成立時における民族性の決定」といった運命論的な論調には首をかしげざるをえませんでした。



 日本は、二次大戦に敗れたことによっていわゆる西側諸国の傘の下に組み込まれ、その代償としての「反共のくびき」を架せられながらも、1989年の共産主義諸国の崩壊によってそれもほぼ無効化したことによって、現在は開国以来の自由でそれゆえに目的の見えにくい時代の最中にあると言えます。


 私には、内田氏がこうした現在の日本の時代感覚を歴史的事実へと
強引に敷衍してしまっているように見えます。


 たしかに、漢字・漢籍の伝来や近代西洋文明の受容など「それまでの日本になかったもの」を外部から採り入れ、血肉化してきた日本にとって「外側の基準」への依頼心は否定しようのない習性のひとつと言えるでしょう。


 しかし、遣唐使の廃止から始まる冊封体制からの自立志向や幕末の攘夷運動などからもわかるように外部文明の受容は必ずしも無抵抗・無批判に浸透してきたわけではありませんし、時にはそれが小中華思想や大東亜共栄圏といった外側への反動的な意識へと変容しています。


 日本の変節の歴史を紐解くと、
6世紀の白村江の戦いの敗戦から始まる中国化政策、
明治の維新政府による欧化政策、
戦後のGHQ占領下における米化政策
 と、いずれも亡国の危機やそれに類する状況下において断行された一大改革であり、これらの先人の歴史を現在の日本人の感覚で「ふらふら、きょろきょろ」などという浮ついた言葉で表現することが適当であるとは思えません。



 番組冒頭でも触れられているように、内田氏は「日本辺境論」というセンセーショナルなタイトルの本で新書大賞を受賞されていますが、今回のインタビューの内容と併せても「名誉教授化した現役教授」というあまり望ましくない潮流への懸念を禁じえません。

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