NHKラジオ深夜便「明日へのことば」を聴く

不定期更新です

平成23年8月26日 作家・法政大学教授 リービ 英雄氏

平成23年7月3日・4日放送
平成23年8月25日・26日アンコール放送
平成23年9月12日までネット公開 - NHK ONLINE

「私の日本、私の中国」

作家・法政大学教授 リービ 英雄氏

リービ 英雄(リービ ひでお) - Wikipedia




 英語を母語としながら、日本語で創作活動を続け、近年は中国を日本語で表現することで日本語の国際化に挑戦しているというリービ英雄氏のインタビューを聴きました。

 今回のインタビューは、氏の特異な創作活動の背景と合わせて、言葉というものの持つ意味について非常に示唆に富んだ内容であったと思います。



 リービ氏の最初の日本語文学作品であり、野間文芸新人賞を受賞することとなる『星条旗の聞こえない部屋』(1992年)を発表した際、アメリカの出版社から一部の英訳を頼まれたものの、いざ着手してみるとおかしな英語になり文章の体をなしていなかった、それまで多くの日本人作家の作品を英訳してきたにもかかわらず、自分の作品は抄訳さえできなかったというのです。

 翻訳という作業は、二つの言語を横断するという性質上、それぞれの語感の持つ色味の違いによって生じる齟齬をいかにして解消していくかという課題と隣り合わせです。

 「吾輩は猫である」を「I'm a cat」と訳しても本来の文意を伝えきることはできません。
 
 そこで他人の作品であれば、翻訳家が一人の独立した作家として作品にメスを入れてしまうことで体裁を整えることもできるのですが、これが自分の作品となると、原作家としての自分の中にある作品の原型がメスを握る手を鈍らせ、却って歪なものに仕上げてしまうのかもしれません。

 氏の言う「医者が自分の体に手術をするようなもの」「そこまで自分を虐待できなくて」という言葉からは、そのような作家としての心の動きが伺えました。

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平成22年10月23日 生物資源研究所所長 根路銘 国昭氏

平成22年10月23日放送
「科学者として世界とどう渡り合うか」

生物資源研究所所長 根路銘 国昭氏

根路銘 国昭(ねろめ くにあき) - Wikipedia



 元国立予防衛生研究所ウイルス研究室長で、現在、生物資源利用研究所所長を務めておられる根路銘 国昭氏のインタビューを聴きました。


 アメリカ民政府の統治下にある沖縄で中学・高校生時代を過ごしたことにより、アメリカに強い劣等感をもった根路銘氏は、それゆえに学者となりアメリカと対等な立場でケンカをするということに強いこだわりを持つようになります。

 日本人研究者の多くが神社に参拝するようにアメリカに留学し、論文を書く事でハクをつけて帰ってくる一方で、根路銘氏はひたすら国内での研究に打ち込み、大阪府立大からの教授就任要請などにも目もくれず、その成果を深めていくことにのみ専心し「私は純粋の国産の研究者です」と言い放つ姿勢もこの対抗心がその根幹にあったようです。

 そして、その研究成果は根路銘氏の宿願とも言えるアメリカとのケンカで大いに威力を発揮することになります。

 今回の放送で語られたアメリカやWHOとのケンカの逸話は以前からネット上でも話題になっていたようで、いくつかのサイトで同内容の記事が書かれていました。

WHO多国籍製薬会社を向こうに、ワクチン問題で大立ち回り。孤軍奮闘、日本人を守った沖縄人ウイルス学の権威・根路銘邦昭 《阿修羅》
医学ちょっといい話12「根路銘国昭氏の話」 《医学処 医学の総合案内所》



 今回のインタビューは、対談形式ではなく講演会の収録という形で行われ、根路銘氏の発言にたびたび会場から笑いや拍手が起こっていましたが、中でも特に拍手をおくりたいと思ったのはHAワクチンの認可をめぐるケンカの話です。

 1972年、HAワクチンを開発した根路銘氏は、7つの製薬会社のうち3つの会社のワクチンが規定に違反するとしてその認可を拒みますが、莫大な損害を出すこととなる製薬会社は厚生省や所長に働きかけ、所長からは「政治命令だ」と判を押すことを強要されながらも、「私は学者ですから政治的な判断はしません。もし、学者が国民に背を向けたら誰が国民を守るんですか」と反論して頑として首を立てに振らなかったそうです。

 最近のマスコミに登場する人物の中には、学者としての職責を蔑ろにし安易に企業やマスコミに迎合する発言をして恥とも思わない者も少なくない中、このぶれない学者魂のあり方には大変な頼もしさを覚えました。

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平成22年09月17日 虫の詩人の館・館長 奥本 大三郎氏

平成22年09月17日放送
「虫と遊び、虫に学ぶ(2)」

虫の詩人の館・館長 奥本 大三郎氏

虫の詩人の館
奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう) - Wikipedia



 仏文学者で、ファーブル昆虫記の翻訳などを手がけられている奥本氏が、自身のファーブルへの思い入れや、子どもの自然とのふれあいの重要性などを語っておられました。


 子どもにとって、豊かな自然の中でたった一人になって物を考えること、あえて退屈する時間を持ち、その中で自分で本を読んで調べることが子供に自分で考える能力を培わせる。


 その根拠としてファーブルの生い立ちや「書物というものは人の考えを写しているだけで自分で考えていない」として自分の目で見たことしか信じないというファーブルの実証主義を挙げられています。

 また、それと対比して、インターネットでピンポイントに答えを見つけて来るような手軽な情報摂取には批判的で、このように子供から考える機会を奪う文化は「人類の滅亡を早めるものだ」と断じておられました。

 本とインターネットの扱いには、少し前後矛盾する部分や偏見もあるように感じましたが、与えられた情報を疑って「自分の目で確かめ、耳で聞いて、手で触る」という実証的な態度は大いに共感しますし、可能な範囲でしっかり実践していきたいことだと思いました。



 また、奥本氏はNPO法人日本アンリ・ファーブル会の会長として、緑化・昆虫標本の保存・子供達の虫との関わり合い方についての啓蒙活動などをされているようです。

 最近の日本では生物保護や環境破壊などの理由から、昆虫採集の習慣が失われつつあり、その反論として、

・生き物を殺して食べることは人間にとって身体を養うために必要なこと
・虫をいじって遊んで結果的に殺すことは精神を養うために必要なこと

というふたつの必要性を語られています。


 殺生したことによる後味の悪さ、寂しさ、後ろめたさが命は大事だという実感につながるということ、それは言葉だけで聞いてもわからない。


 これについては、私の幼少時の体験を思い出しました。

 ある時、よく一緒に遊んでいる虫採り仲間が、物知り顔で「見てろよ」と言うと、たった今捕まえたばかりのバッタをおもむろに壁に投げつけたことがありました。

 壁にたたきつけられて地面に落ちたバッタを覗き込むとすでに絶命して動かなくなっていましたが、私は何の意味もなく殺されたバッタを不憫に思いながらも、その姿にちょっとした感動を覚えていました。

 バッタという生き物はとても警戒心が強く、うまく音を立てないように近づかなければ捕まえることができません。

 また、捕まえたあとも手を離せばすぐに大きな後ろ足で跳びあがって逃げてしまいますし、放り投げたりすればこれを好機と羽根を広げてそのまま何処かへ飛び去ってしまいます。

 つまり、バッタにとって人の手を離れることはそのまま自由になることに他ならないはずだったのですが、そのバッタは人の手を離れた直後に逆に動かなくなってしまいました。

 それは子供心に、それまでの常識が揺らぐと共に新鮮な驚きを伴う出来事だったのです。

 これは、虫採り仲間の態度からも当時の子供の間では当たり前のように共有されうる感覚だったのだと思いますが、バッタというものを実際に苦労して捕まえた経験のない人には分かりにくいものかも知れません。

 また、バッタには愛玩用の他に、カマキリのえさになるという過酷な使命があるのですが、カマキリの前に突き出しされたバッタに対しては何の同情もなく、その虫かごの中に転がっている食べ残されたバッタやコウロギの無数の頭部などは、今見れば驚いて虫かごをひっくり返してしまいかねませんが、当時はそんなものは見えていないかのようにただ捕食の様子にほれぼれと見入っていたものです。

 私自身は、こうした体験と現在までの人格形成に連続性があることさえも実感しづらいところがありますが、子供にとってどのような影響を及ぼしうるのかについては、むやみに美化したり忌避するのではなく、さらに掘り下げた議論がされる必要があると思います。



 奥本氏は、この活動を語る中で「子どもが自分の子どもの時と同じようなことをしてくれると嬉しい」、「虫の採り方を教えると尊敬される。子供に尊敬されるというのはいいものですよ」と発言されていましたが、この活動の動機づけとしてはそれが最も率直でわかり易い解説だと思いました。

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