NHKラジオ深夜便「明日へのことば」を聴く

不定期更新です

平成23年9月16日 作家 乙武 洋匡氏

平成23年 9月16日放送
平成23年10月10日までネット公開 - NHK ONLINE

「震災で感じた“僕のできること”」

作家 乙武 洋匡氏

乙武 洋匡(おとたけ ひろただ) - Wikipedia




 「五体不満足」の著者として知られる作家の乙武洋匡氏のインタビューを聴きました。

 東日本大震災の際、東京のビル内で地震に遭遇し友人たちに抱えられて非難することとなった経験や、その後、友人たちが被災地で自らの肉体で救援活動を行いその報告をtwitter等を通して聞かされていた間、自分が同じように活動に参加できないことに悔しさを覚えていたことなど、それまでの乙武氏の活動方針には見られなかった後ろ向きな感情についても触れられていたのが今回のインタビューの特筆すべき点でした。

 どんなに強い人間でも、ふとしたことで弱気な感情が頭をもたげ始めることは必ずあるものですが、これまでの乙武氏はそのような弱さを正面から弾き飛ばしてしまうような前向きさが前面に出されることが多かったにも関わらず、今年の7月に出版された著書では弱者としての障害者である自分について再認識する姿が描かれています。

 この心境の変化には、震災後の葛藤とその答えとして被災地へ赴き、現地の人々と交流した際の体験が大きく関係しています。

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平成22年10月23日 生物資源研究所所長 根路銘 国昭氏

平成22年10月23日放送
「科学者として世界とどう渡り合うか」

生物資源研究所所長 根路銘 国昭氏

根路銘 国昭(ねろめ くにあき) - Wikipedia



 元国立予防衛生研究所ウイルス研究室長で、現在、生物資源利用研究所所長を務めておられる根路銘 国昭氏のインタビューを聴きました。


 アメリカ民政府の統治下にある沖縄で中学・高校生時代を過ごしたことにより、アメリカに強い劣等感をもった根路銘氏は、それゆえに学者となりアメリカと対等な立場でケンカをするということに強いこだわりを持つようになります。

 日本人研究者の多くが神社に参拝するようにアメリカに留学し、論文を書く事でハクをつけて帰ってくる一方で、根路銘氏はひたすら国内での研究に打ち込み、大阪府立大からの教授就任要請などにも目もくれず、その成果を深めていくことにのみ専心し「私は純粋の国産の研究者です」と言い放つ姿勢もこの対抗心がその根幹にあったようです。

 そして、その研究成果は根路銘氏の宿願とも言えるアメリカとのケンカで大いに威力を発揮することになります。

 今回の放送で語られたアメリカやWHOとのケンカの逸話は以前からネット上でも話題になっていたようで、いくつかのサイトで同内容の記事が書かれていました。

WHO多国籍製薬会社を向こうに、ワクチン問題で大立ち回り。孤軍奮闘、日本人を守った沖縄人ウイルス学の権威・根路銘邦昭 《阿修羅》
医学ちょっといい話12「根路銘国昭氏の話」 《医学処 医学の総合案内所》



 今回のインタビューは、対談形式ではなく講演会の収録という形で行われ、根路銘氏の発言にたびたび会場から笑いや拍手が起こっていましたが、中でも特に拍手をおくりたいと思ったのはHAワクチンの認可をめぐるケンカの話です。

 1972年、HAワクチンを開発した根路銘氏は、7つの製薬会社のうち3つの会社のワクチンが規定に違反するとしてその認可を拒みますが、莫大な損害を出すこととなる製薬会社は厚生省や所長に働きかけ、所長からは「政治命令だ」と判を押すことを強要されながらも、「私は学者ですから政治的な判断はしません。もし、学者が国民に背を向けたら誰が国民を守るんですか」と反論して頑として首を立てに振らなかったそうです。

 最近のマスコミに登場する人物の中には、学者としての職責を蔑ろにし安易に企業やマスコミに迎合する発言をして恥とも思わない者も少なくない中、このぶれない学者魂のあり方には大変な頼もしさを覚えました。

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平成22年09月11日 財団法人・たんぽぽの家理事長 播磨 靖夫氏

平成22年09月11日放送


「障害者の芸術を発信 エイブル・アート」 
財団法人・たんぽぽの家理事長 播磨 靖夫氏



たんぽぽの家
エイブル・アート - Wikipedia



 元新聞記者である播磨氏は、自らが命名した「エイブル・アート」という活動によって障害者をはじめとするさまざまなハンデを負う人々の生活の質の向上に努めておられるようです。

 その理念として何度も口にされていた「出来ないことを悔やむより、出来ることに集中したほうが良い」という言葉は現在の日本人に最も必要とされている考え方だと感じました。

 もともとこの活動の始まった1995年は、バブル崩壊による混迷に加え、阪神大震災・地下鉄サリン事件と立て続けに大きな事件が起こり、日本全体が失意と不安の最中にありました。

 そんな日本を勇気付け、立ち直らせるためには芸術活動が必要だという信念が活動の立脚点となっています。


 障害者を人目にさらすということに否定的な見かたも根強い風潮の中で、その活動は音楽・絵画をはじめとする幅広いアート活動へ広がっていき、1997年に開かれた東京都美術館の展覧会は予想に反する大成功を収めます。

 その会場に置かれていた感想用紙には、表にも裏にも「勇気をもらった」という感動を表す言葉がびっしりと書き込まれていたそうです。


 現在の日本を動かしている大人には、将来の日本を背負う子供達のために希望のある未来を用意する責務があるはずですが、悲観論をつぶやくばかりでその先の未来のために本気で汗をかこうという気概が感じられないようでは、その態度は無責任と批判されても仕方がありません。

 そんな中で、播磨氏のように「日本が弱っている時だからこそ自分の手で元気にしてやろう」という姿勢は、私の目には、誰よりも大人としての責務に誠実であるように映ります。

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